- WR2344 日中戦争の問題点を検証する(第95話 回天特攻作戦) −回天は水上艦用の酸素魚雷(九三式魚雷)を改造し、直径1メートルほどの魚雷内部に乗組員1名のコックピットを設け、搭乗員は小さな潜望鏡で敵艦の位置を確認し潜航操舵、敵艦へ確実に命中させる。炸薬量も魚雷の3倍、命中により敵艦の撃沈を確実に期待できる必殺兵器として開発されたのである。(2007/2/16)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2343 日中戦争の問題点を検証する(第94話 アッツ島とキスカ島)−日本海軍は1942年(昭和17年)6月、3日から7日にかけてミッドウェイ作戦の陽動作戦として、ウナラスカ島にある港湾地区ダッチハーバーに対する空爆およびアッツ島、キスカ島の攻略をおこなった。(2007/1/6)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2340 日中戦争の問題点を検証する(第93話 ビルマ戦線) −日本が米英との戦争に踏み切った大きな要因は重慶の蒋介石政府の打倒にある。そのために、香港ルート、南仏ルート、シンガポールルート、フィリピンルートを封じてきた。残るは雲南・ビルマルートを封じなければこれまでの戦いは無駄に終わる。(2006/12/8)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2337 日中戦争の問題点を検証する(第92話 東京ローズ) −ラバウル、グアム、フィリピン、ジャワなどの南の島で男ばかりの戦闘に明け暮れて殺伐とした心で夜を迎える兵士は、クラシックやポピュラー音楽が流れてくるラジオに魅了された。
いつのまにか、誰言うとなく、このディスク・ジョッキーは「東京ローズ」と呼ばれるようになった。姿は見えず声だけの方が、聴取者が勝手にイメージをふくらませて、自分好みの架空の「東京ローズ」の美女を作り上げた。このラジオ放送は連合軍の兵士たちの間でものすごい人気番組となった。(2006/11/24)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2335 日中戦争の問題点を検証する(第91話 731部隊) −1932年(昭和7)4月に東京の陸軍軍医学校に防疫研究室がつくられた。実際の活動は8月からである。1933年秋、黒竜江の五常県近くの背陰河に防疫班として「東郷部隊」が活動を開始した。東郷は石井大佐の偽名で、当時は石井は「東郷一(はじめ)」と名乗っていた。(2006/11/10)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2334 日中戦争の問題点を検証する(第90話 東京空襲とミッドウェイ海戦) −1942年(昭和17)4月18日、午後0時30分、戦勝ムードに浸っている日本の首都東京に爆弾が投下されて、日本国民は大いに驚いた。「日本に真珠湾奇襲ができるのならアメリカだって奇襲はできるぞ!」いまだ太平洋上の制空権を手中に収めていないアメリカとしては大冒険であった。それでも真珠湾の仇をとらなくては国民の気持ちが収まらない。(2006/10/27)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2332 日中戦争の問題点を検証する(第89話 オランダ領東インド) −歴史用語では「蘭領印度」と書かれることが多いこの地域は、現在のインドネシアの領土とほぼ同じである。スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス、西ティモール、カリマンタン、ハルマヘラ、モロッカ諸島、ニューギニア西半分を合わせた面積は194万平方キロで、現在の日本の約5倍の面積である。西のスマトラから東のパプアニューギニアの国境まで横に5110kmも広がっている。首都はジャワ島のパタピア(現・ジャカルタ)であるが、ここは日本の神戸からはるかに5千キロのかなたにある。(2006/10/13)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2329 日中戦争の問題点を検証する(第88話 フィリピン戦線) −1941年12月8日、真珠湾、マレー半島とともに日本軍はフィリピンを攻撃した。目標は首都マニラである。当時のフィリピンはアメリカの東洋における唯一の植民地であるから、ここを攻撃しなくては逆に台湾の日本の基地が危ない。初期の段階でアメリカの海・空軍の前線根拠地を叩いておくのは戦略的には当然である。日本と南洋を結ぶ航路の真ん中に横たわる地理的関係からみても、完全掌握が不可欠である。しかし、日本軍も日本人も「ご近所」であるフィリピンについての知識が欠如していた。(2006/9/29)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2327 日中戦争の問題点を検証する(第87話 マレー作戦) −大東亜戦争は1941年12月8日、午前1時30分、真珠湾攻撃の始まる2時間前にマレー半島への進軍によって事実上開始された。日本はアメリカの経済制裁を受けて石油がなくなる前に、オランダ領のジャワを攻略して石油を手中に収めるためにはマレー半島からシンガポールを制圧して、ジャワへのルートを確保しなければならない。
しかもマレー半島ではタングステン、錫が採れる。資源に困っている日本には垂涎の的である。当然、日本軍としては第一番の目標とした。(2006/9/22)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2325 日中戦争の問題点を検証する(第86話 真珠湾の謎) −ルーズベルト大統領から「日本軍が先制攻撃してくるまではこちら側から攻撃してはならない」という伝達が真珠湾を母港とする全艦に対してなされていた。こうしてアメリカは日本に先制攻撃させるため、12月7日の真珠湾攻撃を察知しながら 「途中で日本艦隊を見失った」と述べている。しかし、真珠湾以外ではすべて暗号も無線も解読しているのであるから、広い太平洋の障害物のない海域で大艦隊を見失うことはありえないのである。(2006/9/15)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2323 日中戦争の問題点を検証する(第85話 日米開戦前夜) −日本が支那事変の深みにはまって解決の糸口を見出せぬとき常に浮上してきたのが三国同盟である。しかし海軍は断固反対である。平沼内閣(昭和14年1月5日〜同8月30日)のとき「日独伊三国同盟」の締結が板垣陸相から求められた。8月8日の五相会議で5日前の陸軍三長官(陸相、参謀総長、教育総監)会議で三国同盟の締結を決めた、つまり『陸軍の総意』であると主張した。(2006/9/8)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2321 日中戦争の問題点を検証する(第84話 ふぐ計画−その2) −1939年(昭和14)9月3日、イギリスはフランスとともにドイツに対して宣戦布告をし、ここに第二次世界大戦の幕が切って落とされたのであるが、その日、パレスチナのテル・アビブの海岸では、「タイガーヒル号事件」が発生した。ポーランドをはじめチェコ、ルーマニア、ブルガリアなどの国々からユダヤ難民1400人を乗せてきたタイガーヒル号が、イギリス海軍の巡視艇からいきなり銃撃を浴びせられ、多数のユダヤ人が殺されてしまったのである。(2006/9/1)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2319 日中戦争の問題点を検証する(第83話 ふぐ計画−その1) −1930年代、ドイツで迫害を受けたユダヤ人たちが、シベリアを経由して満洲へ洪水のごとく流れてきた。日本政府は、アメリカからの工作機械やその他の輸入を全く受けられないため、日本の満洲経営は大きな壁にぶつかっていた。そのために、欧米のユダヤ財閥資本と経営技術を必要としていた。そこで、ユダヤ資本との対立関係を回復する為に、この難民ユダヤ人たちを保護し、満洲にユダヤ人国家を作る計画があった。この計画は「河豚(ふぐ)計画」と呼ばれた。(2006/8/25)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2317 日中戦争の問題点を検証する(第82話 蒋介石の憂鬱) −1940年(昭和15年)9月に日本がドイツ・イタリアと三国同盟を結ぶと、これで近い将来日本との戦争に勝つことを確信した蒋介石であったが、共産党の増長に頭を抱えていた。(2006/8/18)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2314 日中戦争の問題点を検証する(第81話 ある一兵卒の戦記) −自分は大正4年1月1日生まれ、埼玉県北足立郡馬室村の出身であります。昭和10年1月、18歳のとき志願して東京中野の電信第一連隊第二中隊に入隊しました。(2006/8/11)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2312 日中戦争の問題点を検証する(第80話 阿片争奪戦) −阿片の原料植物ケシは文明の発生とともに栽培されていたと思われるが、メソポタミアでシュメール人による栽培がもっとも古いと考えられている。支那では紀元前203年、項羽と劉邦の「垓下(がいか)の戦い」で、項羽と虞妃(ぐき)とのロマンスにケシの花が出てくる。(2006/8/4)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2309 日中戦争の問題点を検証する(第79話 ゾルゲ事件(下)) −尾崎グループが目指した日本の理想の姿とは東アジアの共産化である。満洲、支那、日本、ソ連が共産圏をつくり、それを核にして周囲の国々を共産国にしていこうとするのである。そのためには日本が蒋介石政権と和解せず、支那事変を長続きさせることで中国共産党と八路軍を強化させることをもくろんだ。(2006/7/15)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2304 日中戦争の問題点を検証する(第78話 ゾルゲ事件(上))−ゾルゲ諜報団の摘発が行われたのは1941年(昭和16)10月18日である。しかし、事件が公表されたのは昭和17年5月16日である。7ヶ月も伏せられていたのは警察や司法関係者にこのスパイ団の想像を超えた日本の中枢部の恥部を晒さざるを得ないところにあった。(2006/6/30)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2301 日中戦争の問題点を検証する(第77話 軍人としての皇族たち) −明治維新により武士の社会から再び皇室に実権が戻ったのを象徴したのが、錦の御旗をたてて官軍の総大将となった有栖川宮熾仁親王である。明治43年3月に「皇族身位令」が制定された。以後皇族の男子は軍籍を持つことが義務付けられた。終戦までに陸軍が28名、海軍が21名、合わせて49名の皇族が従軍している。(2006/6/23)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2298 日中戦争の問題点を検証する(第76話 満洲の財閥と労働者) −昭和になると日本国内ではすでに三井、三菱、住友、安田の四大財閥が日本の経済を牛耳っていたが、満洲においては三井財閥が圧倒的であった。満鉄の鉄道線路が伸びてゆくにつれ、三井物産は満洲の奥地にまで勢力を広げた。満洲国生みの親、石原莞爾は基本的に満洲では財閥の跋扈をゆるさぬ考えであった。(2006/6/16)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2296 日中戦争の問題点を検証する(第75話 陸軍中野学校) −島国育ちで恥ずかしがり屋のせいか、日本人は外交下手である。しかし、緊張する国際間の諸問題はいやおうなく外交に頼らざるを得ない。そのとき、どれだけ相手国の正確な情報を得ているかによって有利な立場に立てる。日本ではスパイ、諜報、間者、という言葉は忌み嫌われ侮蔑されてきた。(2006/6/9)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2293 日中戦争の問題点を検証する(第74話 ノモンハン事件) −満洲国成立ののち、ソ連とは常に小さな国境紛争が起きていた。越境者による国境付近の住民とのトラブルは絶えなかったが、ソ連・満洲国ともに軍備が充実しておらず、本格的な戦いにまでは発展しなかった。つまり、両国ともに紛争を鎮静化したのである。しかし、昭和12年に支那事変が始まると、ソ連はことあるごとに満洲国を挑発した。満洲国を守る関東軍の戦力を試していた形跡がある。(2006/6/2)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2290 日中戦争の問題点を検証する(第73話 徐州作戦(麦と兵隊)) −昭和13年3月13日、事実上の徐州作戦は始まった。徐州を目指して北からは、北支那方面軍の第二軍、第十師団の瀬谷支隊、第五師団の坂本支隊が南下していた。徐州の手前にある微山湖と大運河東方の台児荘には支那軍が日本軍を待ち伏せしていた。(2006/5/26)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2285 日中戦争の問題点を検証する(第72話 娘娘祭り) −本格的な春を告げるお祭りで、正確には「娘娘廟会(ニャンニャンびょうえ)」という。満洲各地に道教の廟があるが、特に娘娘廟のお祭りは毎年旧暦の4月16・17・18の3日間に行われる。遅い春の到来を待ち焦がれる住民の支持を得て賑やかである。(2006/5/12)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2282 日中戦争の問題点を検証する(第71話 2万人のユダヤ人を救った樋口季一郎) −1938年(昭和13)1月15日ハルピン商工倶楽部で第1回の極東ユダヤ人大会が開催された。このために東京・上海・香港から続々とユダヤ人が集まってきた。この日来賓として出席したのはハルピン特務機関長の樋口季一郎少将、陸軍の安江仙弘 大佐や、谷口副領事などが出席し、およそ2千人のユダヤ人で会場はあふれんばかりの熱気である。(2006/4/28)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2279 日中戦争の問題点を検証する(第70話 南京事件) −南京での虐殺はあったのか?あったとすればそれは何人か?この問題は戦後60年も経った今日では真実は謎のまま解明を困難にしている。それでも最近になって当時の資料が発見されたケースもある。終戦時に軍関係者によって戦争に関する多くの書類が焼却されたが、焼け残ったものがGHQに提出されており、その返還されたものがすべてであったかどうか定かでない。それでも日本側の資料は冷静に記録されているものが大量に現存する。(2006/4/21)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2276 日中戦争の問題点を検証する(第69話 南京戦) −1937年(昭和12)12月10日正午、中支那方面軍参謀長・塚田攻少将は
南京・中山路東方の前線で支那側軍使が来るのを待っていた。が、城門は開かれず、
司令官・唐生智あてに出した松井大将の投降勧告は無視された。
松井大将は午後1時に南京総攻撃を下命した。(2006/4/14)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2273 日中戦争の問題点を検証する(第68話 南京攻略) −1937年12月9日、日本軍は上海から400キロの南京を取り囲んだ。まず、唐生智将軍あての降伏勧告文を投下した。これを唐生智は翌日拒否した。蒋介石はすでに日本軍が迫った12月7日には宋美齢とともに南京を脱出し、廬山に向かった。12月10日には総攻撃が開始され、13日には南京は陥落する。(2006/4/7)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2270 日中戦争の問題点を検証する(第67話 トラウトマン和平工作) −ヒトラーは、日本政府の抗議と日中戦争の拡大が中国市場の成長を妨げ、かつ、日本軍の消耗は防共協定を軸とする彼の世界戦略にとりマイナスとなることから、日中間の和平の斡旋に乗りだした。そして駐華大使トラウトマンに命じて日中和平工作を行わせた。(2006/3/31)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2267 日中戦争の問題点を検証する(第66話 通州虐殺事件) −1937年(昭和12)7月29日午前4時、冀東(きとう)保安隊による日本人虐殺事件が発生した。昭和8年の熱河作戦で関東軍は長城を越え北京・天津にまで迫り、支那と塘沽(タンクー)停戦協定を結んだ。これにより国民党および中央軍を華北から締め出し、この非武装地域に冀東防共自治委員会(冀は河北省の意味)を擁立、支那駐屯軍の監督下とした。(2006/3/24)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2264 日中戦争の問題点を検証する(第65話 北支事変) −1937年(昭和12)7月7日、北平(北京)郊外の盧溝橋付近にて事件が発生した。明治34年の北清事変(義和団の乱)の講和議定書(辛丑条約)を根拠として当時の北支は、日本をはじめ英米仏伊各国が軍隊を駐屯させており、自由に訓練・演習を行う権利を有していた。(2006/3/17)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2262 日中戦争の問題点を検証する(第64話 西安事変) −1936年(昭和11)12月12日、中国の古都西安(長安)で国民党主席蒋介石が張学良に監禁されるという事件が起こった。一種のクーデターで中国では武器で脅していさめることを『兵諫(へいかん)』という。(2006/3/10)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2259 日中戦争の問題点を検証する(第63話 満洲産業開発五カ年計画) −石原は日本にあってもいつも満洲のことを考えていた。満洲国はきちんとした計画を持って重要な産業を興すべきである。日本は資源に乏しいが満洲なら鉄、石炭、鉛、タングステン、モリブデンなどがある。この豊富な資源で重工業を起こすには民間企業を誘致しなければならない。目標は昭和16年までの5カ年計画である。(2006/3/3)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2257 日中戦争の問題点を検証する(第62話 満洲の映画) −満洲で初めて映画(活動写真)が上映されたのは明治39年2月のことである。
岡山孤児院の資金募集のため慈善音楽活動写真会が大連で催された。
上映作品は「旅順口海戦」「マッキンレー大統領の葬儀」「岡山孤児院の実写」の3本。
結果は大成功で、翌年は奉天、長春まで巡業した。(2006/2/24)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2255 日中戦争の問題点を検証する(第61話 二・二六事件) −1935年(昭和11)2月26日、前夜からの大雪が未明になってやっと止んだ。
午前5時、皇道派陸軍青年将校ら1483名がついに反乱を起こした。
近衛歩兵第一連隊の栗原安秀中尉率いる隊は総理大臣官邸を襲撃し、内閣総理大臣
岡田啓介を射殺した。(2006/2/17)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2252 日中戦争の問題点を検証する(第60話 皇帝と天皇) −1935年(康徳2・昭和10)4月2日、満洲国皇帝溥儀は日本訪問
のため帝宮・承光門を出て新京駅に向かった。
満洲国建国の即位式に秩父宮擁立親王が出席したことに対する答礼である。
溥儀のために日本から戦艦『比叡』が大連に差し向けられていた。(2006/2/10)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2249 日中戦争の問題点を検証する(第59話 満洲帝国) −1932年(昭和7)3月1日に満洲国の建国が宣言され、1934年3月には、新京〜大連間704キロを7時間半で結ぶ、超特急
『あじあ号』が運航の運びとなった。列車全体を機関車から一体となった流線形のカバーで覆い、機関車は濃紺、客車は淡緑色に塗られていた。(2006/2/3)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2246 日中戦争の問題点を検証する(第58話 平頂山事件) −1932年(昭和7年)9月15日、空には美しい中秋の名月がかかっている。
満洲では中秋節は休日で、各地でお月見会が催されていた。
満洲国ができて1年を迎えようとするここ撫順では匪賊襲撃の予想があり、守備隊
は十分に警戒態勢をとっていた。(2006/1/27)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2243 日中戦争の問題点を検証する(第57話 リットン調査団) −1931年(昭和6)満洲事変のときに蒋介石の国民政府が国際連盟に提訴したのを
受けて「国際連盟日華紛争委員会」が設立され、翌1932年(昭和7)、イギリスの
リットン卿を団長とする調査団が3ヶ月にわたって満洲を調査し、10月に報告書を
提出した。(2006/1/20)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2240 日中戦争の問題点を検証する(第56話 川島芳子) −昭和23年3月25日午前6時。川島芳子は北京の第一監獄で死刑執行される。銃殺であった。死体の替え玉説もあるほど芳子を慕う人は多かったのである。享年42歳。なりふりかまわず満蒙独立におんな独り命がけで戦った勇者に対して巷の俗悪な誹謗を越えて川島芳子をもっと評価すべきである。(2006/1/13)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2238 日中戦争の問題点を検証する(第55話 満洲国) −満洲国の生みの親ともいうべき石原莞爾がその構想を練り上げ、完成させたのは
1930年(昭和4)である。石原莞爾の構想では共和国にする予定であった。満洲に生活する日・満・蒙・漢・鮮の5民族3千万人の人々がなんらの差別もなく、独立した国を建てて平和に暮らすことを夢見ていた。(2006/1/6)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2236 日中戦争の問題点を検証する(第54話 満州事変 その2) −25万の軍勢を持つ張学良軍がこうもやすやすと関東軍に敗れたのはどうして
だろうか?ひとつには張学良の人間的な資質に問題がある。(2005/12/30)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2231 日中戦争の問題点を検証する(第53話 満州事変 その1) −1931年(昭和6)9月18日、夜の10時すぎに奉天(現瀋陽)の北方7.5kmに
ある柳条湖の南満州鉄道線路上で爆発が起き、線路が破壊される事件があった。駐留していた日本の関東軍はこれを張学良軍による破壊工作と断定し、直ちに満洲の占領行動に移った。(2005/12/16)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2228 日中戦争の問題点を検証する(第52話 張作霖爆殺事件) −1928年(昭和3年)6月4日午前5時30分、張作霖の乗った特別列車が、京奉線(北京━奉天)の皇姑屯(こうことん)駅の近くで、立体交叉している満鉄線の鉄橋が架かっている箇所を通ったとき、満鉄線が爆破された。満鉄線の重い鉄橋の一部が張作霖の特別車両の上に落下し、これを完全に粉砕した。(2005/12/9)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2226 日中戦争の問題点を検証する(第51話 ロシア革命) −1917年(大正6)2月、「プロレタリア革命」がロシア帝国に起こった。時の皇帝ニコライ2世は皇太子時代に日本に軍艦で威圧するために訪れ、「大津事件」で負傷した人物である。皇帝(ツァーリ)となったものの定見がなく、政府の人事は常に皇后の心をとりこにした怪僧ラスプーチンの意向によって左右されていた。(2005/12/2)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2223 日中戦争の問題点を検証する(第50話 関東大震災) −1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、相模湾西部を震源地としてマグニチュード7.9の激震が関東一円を襲った。人々が昼食の支度のため火を使っていたことも不運で、東京市は138ヵ所から火災が発生した。(2005/11/25)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2220 日中戦争の問題点を検証する(第49話 紫禁城の落日) −1922年(大正11)12月1日紫禁城では溥儀(16歳)の結婚式が執り行われた。夜明けに淑妃文繍(14歳)が輿入れしてきた。夜になると皇后婉容(17歳)の屋敷まで大臣が迎えに行き、皇族たちが参列する中を華々しく行列が続いた。側室と皇后となった二人はどちらもマンジュの名家の出である。(2005/11/18)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2217 日中戦争の問題点を検証する(第48話 反日の本家アメリカ) −1914(大正3)年に始まった第1次世界大戦は5年もの間長引いた。
同盟国(ドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国、トルコ、ブルガリア)VS連合国(イギ
リス、ロシア、日本、フランス、イタリア)の戦いである。アメリカは最初中立の立場をとっていたが、1917年に同盟国に宣戦を布告する。(2005/11/11)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2214 日中戦争の問題点を検証する(第47話 大正天皇) −1879年(明治12)8月31日午前8時12分、東京の青山御所内の御産所で
のちに大正天皇となる男の子が生まれ、明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王と名づけられた。明宮は生まれながらにして病弱であったが、20歳のときに15歳の九条節子と結婚する。この結婚を機に健康を回復し以後は乗馬やテニスを楽しむほどになる。形式を嫌い、ざっくばらんな性格は大人気で、日本各地から御巡啓に来てほしいという申し込みが殺到した。(2005/11/4)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2210 日中戦争の問題点を検証する(第46話 清朝滅亡) −1912年(明治45・大正1)1月12日清朝は滅んだ。しかし、どうもすっきりしない幕切れである。革命政府との間に『清室優待条件』が結ばれて、宣統帝溥儀は以後もこれまでどおり紫禁城の主として住むことを許され、退位したにもかかわらず、「清国皇帝」を名乗る
ことを許された。そして城内の人々が暮らしていけるように、年金として毎年400万元を受ける約束が交わされた。(2005/10/28)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2207 日中戦争の問題点を検証する(第45話 辛亥革命) −シナの地で革命を起こすとしたらどこを基点とするのがいいだろうか? 候補地は3つある。1、首都の北京 2、揚子江で繋がる古都南京 3、南方の広東。このなかのどこかの都市を占領して革命政府を樹立し、その周辺から北京にかけて勢力を伸ばすのが妥当であると『湖南派』の革命家たちは考えた。その代表が黄興と宋教仁である。(2005/10/21)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2204 日中戦争の問題点を検証する(第44話 日韓併合) −1909年(明治42)10月26日ハルピン駅で前韓国統監伊藤博文を暗殺した安重根が現在の韓国では英雄であるが、バカバカしくて話にならない。伊藤博文こそ韓国併合に反対した人物であり、韓国と日本の対等合邦を唱えて山県有朋に食い下がっていたのである。(2005/10/14)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2202 日中戦争の問題点を検証する(第43話 孫文と宮崎滔天) −日清戦争敗戦ののち清朝政府が13名の官費留学生を日本に送り込んで以来、官費生、私費生がどんどん増え続け、日露戦争中から急増し、1906年には1万2千人に及んだ。孫文、康有為、黄興、張継、宋教仁、陳天華など、まるで日本は革命の戦士のふるさとのように彼らはのびのびと振舞っていた。1897年(明治30年)9月に横浜で滔天は孫文と運命の出会いをし、意気投合する。滔天はさっそく孫文を犬養毅に引き合わせ支援を求めた。(2005/10/7)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2199 日中戦争の問題点を検証する(第42話 日露戦争) −1904年(明治37)2月4日に緊急御前会議においてついにロシアとの国交断
絶と開戦とを日本は決議した。2月5日には開戦の詔勅が出される。
兵力200万人、国家の歳入20億円の軍事大国ロシアと日本は戦って勝てるのか?
日本は兵力25万人、歳入は2億5千万円、おまけに戦費は借金でまかなっている。(2005/9/30)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2193 日中戦争の問題点を検証する(第41話 日露戦争の戦費調達) −近代戦ともなれば戦争には金がかかる。
日露戦争の直接戦費だけでも約20億円、明治36年度の国家予算が6億8千万円
なのだから膨大な金額となる。
さて、このお金をどうやって作るか?(2005/9/16)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2190 日中戦争の問題点を検証する(第40話 福島安正と石光真清)−福島安正は語学に堪能でもともと通訳として陸軍省に入った。伝令使に抜擢したのが山県有朋である。これから表舞台を歩むことになる。明治20年から5年間、ドイツ公使館付武官としてベルリン勤務を終えて帰国するに当たり冬季のシベリアを検分しようと決意する。明治32年石光真清は田村怡与造大佐の後押しを受け秘密諜報員としてシベリアに渡った。(2005/9/9)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2187 日中戦争の問題点を検証する(第39話 露清密約) −李鴻章はペテルブルグに出発する前に西太后と半日かけてじっくりと密談した。
ロシアでは大蔵大臣ウイッテが待っていた。6月3日、ニコライ2世の戴冠式が盛大に執り行われた。華やかな西欧式のパーティーが続き、李鴻章が目を奪われている隙に付け込んで
ウイッテが囁く。「お帰りには使い切れないほどの現金をお持ち帰りください、、、。」(2005/9/2)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2183 日中戦争の問題点を検証する(第38話 東清鉄道とダルニー(大連)) −三国干渉で得た遼東半島はロシアにとっては長年の不凍港を手に入れるという
悲願が達成された。
李鴻章が造った旅順港は港が小さく、ロシアにとっては不満であった。
ロシアは軍港のみならず商港をも欲していたから、ぶん取った遼東半島の地から
良港となるべき土地を物色して「青泥窪(チンニーワ)」という漁村に決めた。(2005/8/26)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2179 日中戦争の問題点を検証する(第37話 台湾民主国) −1895年4月17日の「下関条約」で日本が清から台湾と遼東半島の割譲を受けたが、その割譲に台湾内部から反発する勢力が生まれ、直後の5月23日、「台湾民
主国」として独立を宣言した。(2005/8/19)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2170 日中戦争の問題点を検証する(第36話 三国干渉 閔妃殺害事件)−ロシアは満州を狙っていたから、フランス、ドイツをさそって日本に遼東半島の返還を求めた。あきらかに恐喝行為である。が、当時は白人が東洋人を蔑視していたので、助けを求めたイギリスもアメリカも知らん顔を決め込み、日本の抗議を無視したのである。強い者におもねる朝鮮宮廷(閔妃)は清がだめならロシアがいいということになり、急速にロシアと接近する。(2005/7/29)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2165 日中戦争の問題点を検証する(第35話 下関条約) −1895年(明治28年)3月20日から、日清戦争の講和会議第1回会合が下関の春帆楼で開かれた。清国全権は李鴻章(73歳)、日本の代表は、全権弁理大臣の伊藤博文(55歳)と外務大臣の陸奥宗光(52歳)である。(2005/7/22)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2161 日中戦争の問題点を検証する(第34話 日清戦争) −1894年7月20日 朝鮮政府に対して清軍の撤兵を要求する最後通牒を発令。7月23日には日本軍は漢城(ソウル)を制圧 。7月25日にはついにソウル近くの豊島(ブンド)沖の海戦で日清両国が激突し、ここに日清戦争が勃発。そして8月1日になって日清両国が宣戦を布告した。(2005/7/15)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2156 日中戦争の問題点を検証する(第33話 日清戦争前夜 朝鮮の開国) −李氏朝鮮は崩壊寸前の王朝ではあったけれど、国を憂う人物が皆無であったわけではない。江華島条約ののちに日本に派遣された修信使・金綺秀一行にロシアの南侵に備えるように、そのためには近代化せよと説いた。1880年には、金弘集一行も来日し、行政機関、銀行、工場や鉄道などを見て、文明開化に深く感じて西洋の技術を学び富国強兵を計ることの重要性を悟った。(2005/7/8)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2151 日中戦争の問題点を検証する(第32話 日清戦争前夜 ロシアの東漸) −1891年(明治24年)日本をゆるがす大津事件が発生した。5月11日、ロシア皇太子ニコラス・アレクサンドロビッチはシベリア鉄道起工式出席の途次、来日したが、長崎・鹿児島を経て京都に入り、琵琶湖周辺を巡って滋賀県庁に入り、京都の常盤旅館へ戻ろうとした。午後1時30分ごろ下小唐崎を通過中、警戒中の巡査津田三蔵が突如サーベルを抜き、皇太子の後頭部を二度斬りつけた。なぜこのような事件が起きたのであろうか?(2005/7/1)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2146 日中戦争の問題点を検証する(第31話 日清戦争前夜 清仏戦争) −1884年〜85年、ベトナムの領有権をめぐってフランスと中国が戦った清仏戦争で、フランスに敗れた清はベトナムにたいする宗主権を放棄した。これによって、ベトナムにたいするフランスの支配は国際的にも確立した。 イギリスがインドを植民地にしたことで遅れをとったフランスが目をつけたのがインドシナ半島であった。(2005/6/24)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2141 日中戦争の問題点を検証する(第30話 日清戦争前夜 明治の軍隊) −明治の初期は多くの日本人が外国に出かけて実地調査に余念がなかった。また外国人との交際を広めて技術ばかりではなく正確な情報収集も行った。私はこの真摯な姿が明治の日本を隆盛にしたのだと思う。彼らはアフリカで黒人奴隷の売買を見、アジアでは西欧列強による虐げられた人々を見て義憤を感じて帰国した。日本が軍事強国にならなければならぬ、という決意は当然である。(2005/6/17)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2136 日中戦争の問題点を検証する(第29話 日清戦争前夜 李鴻章) −中国がアヘン戦争でイギリスに敗北してからというもの、ロシア、ドイツ、フランス、アメリカなどの西欧列強は次々に不平等条約を押し付け、承認させていた。こうした中で中国も何もしなかったわけではない。漢人の官吏である李鴻章は外国の兵器を購入し、ドイツに部下を送り西欧式の戦術を訓練させ、西欧列強との戦いに負け続ける旧式な中国の軍隊の近代化を図った。(2005/6/10)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2131 日中戦争の問題点を検証する(第28話 日清戦争前夜 「征台の役」) −1871年(明治4年)11月30日、琉球の那覇を出帆した宮古島船が嵐で難破し、12月17日台湾南端に漂着した。乗員の宮古島民69名のうち3名は上陸の際に溺死、残りは台湾先住民の一部族「牡丹社」に救助を求めたが襲撃されて54名が首を取られるという事件が起こった。(2005/6/3)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2126 日中戦争の問題点を検証する(第27話 日清戦争前夜 清と中華思想) −中華思想』とは今からおよそ2500年前の孔子によって「礼」が唱えられ、
以後、孟子・荀子らによって「儒教」が完成したが、この理念が敷衍したもので
ある。(2005/5/27)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2121 日中戦争の問題点を検証する(第26話 日清戦争前夜 李氏朝鮮) −李氏朝鮮は1392〜1910年までおよそ500年続いた。
正式な国名は『朝鮮』であるが、「朝鮮」と呼ぶ国は古代から複数あるため
人々の誤解を招かぬように歴史では便宜上『李氏朝鮮』というのである。(2005/5/20)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2116 日中戦争の問題点を検証する(第25話 満州の歴史 その16 アヘン戦争) −清朝の道光帝(在位1820〜1850年)は取り締まり強硬派の林則徐を欽差大臣に任じてイギリスが広めたアヘンの取り締まりに当たらせる。これに腹を立てた貿易監督官チャールズ・エリオットは、イギリス本国に引き上げ、議会にはかって報復戦争を決めたのである。古今東西の戦争の中で、『アヘン(麻薬)を買わないから戦争する』という破廉恥で不条理な戦争があっただろうか?(2005/5/13)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2107 日中戦争の問題点を検証する(第24話 満州の歴史 その15・ロシアの膨張) −ロシアはモスクワ大公国のイワン雷帝(位1462〜1505)のころから近隣諸国を取り込みながら東へ東へと進出する。毛皮がヨーロッパの貴婦人に人気があり、特に黒テンの毛皮が高く売れるので、毛皮商人がシベリアに入り、黒テンを追ううちにアムール川からサハリン(樺太)へカムチャッカからベーリング海峡を越えてアラスカまで行ったのである。(2005/4/22)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2102 日中戦争の問題点を検証する(第23話) −清帝国が成立すると、満州に住んでいたほとんどのマンジュたちは北京に移住してしまった。建国に貢献したモンゴルや漢人も政府の中枢を任されたので、当然首都北京に移住していった。しかし満州はマンジュ発祥の地であるからこれを守るために清朝は保護して軍政下に置き、外部からの移住者を禁止した。(2005/4/15)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2097 日中戦争の問題点を検証する(第22話) −清朝の始祖であるヌルハチはチベット仏教の熱心な信者であったので、後金国を建国した時、自分たちを「文殊菩薩(マンジュシュリー)の民」という意味で同音の「マンジュ・満洲」と改名した。(2005/4/8)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2092 日中戦争の問題点を検証する(第21話) −明末になるとモンゴルの勢いはますます盛んになり、もはや明は防御する
のみであったが、満州でも遼寧の興京老城の女直人の中からアイシンギョロ
(愛新覚羅)・ヌルハチが1615年には後金国を建ててから一気に勢力を
増していた。(2005/4/1)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2087 日中戦争の問題点を検証する(第20話) −明がモンゴル(元)を北方に追いやったあと、朱元璋は1368年正月、国号を大明(だいみん)と定めて皇帝に即位した。年号を洪武として一世一元の年号としたので洪武帝とよぶのである。(2005/3/25)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2083 日中戦争の問題点を検証する(第19話) −元寇からおよそ300年ののち、日本を平定した豊臣秀吉は朝鮮に出兵する。「本来の目的は明を征伐するので朝鮮国王は道案内をして欲しい」と言う。朝鮮国王としては宗主国の明を攻めるからといわれて「ハイそうですか」というわけがない。(2005/3/18)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2078 日中戦争の問題点を検証する(第18話) −さてモンゴル帝国については『元寇』を抜きにはできない。文永五年(1268年)1月、九州の大宰府に蒙古の国書と高麗の副書を持って高麗の使者、潘阜(ばんぷ)が到着した。蒙古の国書は日本に降伏を求める脅迫状であり、降伏しなければ武力で征服するぞ、と明記してある。(2005/3/11)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2073 日中戦争の問題点を検証する(第17話) −蒼き狼の末裔を称するチンギス・ハーンの率いるモンゴル軍団はバイカル湖の南オノン川のほとりより発して、13世紀、瞬く間に世界を疾走した。5代目のフビライ・ハーンの時には南宋も滅ぼして最大版図は、ユーラシア大陸で西欧とインド以外はすべてを領土としてしまった。(2005/3/4)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2067 日中戦争の問題点を検証する(第16話) −遼は騎馬民族の本質を忘れ、宋からの歳費を貰いながら怠惰な生活におぼれていた。200年の夢はあっという間に潰えることになる。女真(じょしん)族の勃興である。(2005/2/18)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2058 日中戦争の問題点を検証する(第15話) −唐王朝が滅ぶと渤海も契丹にまもなく滅ぼされてしまう。中国大陸はまたしても混乱の時代に突入する。この時代の主役が契丹(のちの遼・916〜1125年)である。契丹はモンゴル系とツングース系の混血した騎馬民族で、4世紀ころからシラ・ムレン河流域(西遼河・現在の内モンゴル自治区から吉林省の間)に遊牧していた。(2005/2/4)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2053 日中戦争の問題点を検証する(第14話) −渤海国を高句麗の遺民が建国したということで、最近、中国と韓国がともに「自分の国」であったと主張している。しかし、ツングース系の騎馬民族国家であった高句麗の遺民が建国した渤海は当然満州に根を張った騎馬民族たちが主役である。農耕民族の漢民族や高句麗と戦った半農漁労民族の新羅とは根本的に違う。つまり、中国とも韓国とも関係ない。(2005/1/28)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2048 日中戦争の問題点を検証する(第13話) −分裂の時代に颯爽と登場したのが北魏(386〜534年)である。もともと鮮卑族の拓跋(たくばつ)という出身で、その根拠地は遼河流域である。遼河は内蒙古から満州の遼寧省の中央を西南に流れて遼東湾に注ぐ。(2005/1/21)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2043 日中戦争の問題点を検証する(第12話) −ここで少し日本について触れてみよう。2002年のサッカー日韓ワールドカップの開催を前にした2001年12月18日、誕生日(23日)の恒例記者会見で天皇陛下が驚くべき発言をされた。(2005/1/14)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2039 日中戦争の問題点を検証する(第11話) −ところで高句麗とは朝鮮の歴史家が言うように、本当に朝鮮民族の祖であるといえるのだろうか? 先述したように高句麗を建てたのは古くから満州東部から朝鮮半島の北東部に移り住んだ穢(わい)族の一種である。(2005/1/7)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2033 日中戦争の問題点を検証する(第10話) −満州にはもともと原住民として古モンゴル人ともいうべき狩猟民族が住んでいた。彼らはシベリア方面から南下してきたツングース系が勢力を持つと混血を繰り返し、親戚となり集団化する。もともと遊牧民は血族結婚を嫌い他民族の血を欲したのである。(2004/12/24)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2029 日中戦争の問題点を検証する(第9話) −満州について語るときには当然その歴史を無視するわけにはいかない。ユーラシアから満州地方に棲んでいた騎馬民族で、中国の歴史書に初めに登場するのは「粛愼(しゅくしん)」で、春秋戦国時代(前770〜前221)の満州の東北にいた騎馬民族の名称として出てくる。(2004/12/17)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2024 日中戦争の問題点を検証する(第8話) −「歴代の天皇陵墓を公開せよ」という要望は以前から史学にかかわる人々から宮内庁に申し入れがあったのだが、なかなか実現にはいたらない。戦後28年間も宮内庁長官を務め、開かれた皇室を目指した宇佐美毅氏でさえ、旧弊を完全に払拭することはできなかった。(2004/12/10)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2019 日中戦争の問題点を検証する(第7話) −戦前の日本には『皇紀』という年代基準があった。これは日本書紀に出てくる初代天皇の神武天皇が即位した年を日本国の始まりとする考え方で、西暦でいうと紀元前660年にあたる。1872年(明治5年)に定められた。(2004/12/3)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2014 日中戦争の問題点を検証する(第6話) −日本人のなかには「中国5千年」といわれても違和感を感じなくなっている人も多い。実はこれが問題なのだ。
検証すればわかることも文化人の誘導で「定説化」していく危険がある。(2004/11/26)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2010 日中戦争の問題点を検証する(第5話) −歴史や考古学での戒めは『こうあって欲しい』と研究者が思い込むことにある。そこに悪意ではない捏造がうまれる。陳舜臣さんの中国5千年説も『身びいき』から出ているといわれても仕方あるまい。(2004/11/19)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2005 日中戦争の問題点を検証する(第4話) −黄帝を認めた私の計算でも中国の歴史は4千年にも満たないという結論である。では「中国5千年」と称する代表選手にご登場願おう。日本の神戸生まれの作家、陳舜臣さんの故郷は台湾である。(2004/11/12)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR2000 日中戦争の問題点を検証する(第3話) −夏(か)王朝は存在するか? 日本の歴史学者は用心深いので、夏王朝の存在については『物証』がない、と
否定的である。これは伝説か史実か見解の分かれるところではあるが、私は司馬遷を信じているので、史記に「夏本紀」が書かれている以上「夏王朝」の存在も信じる。(2004/11/5)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR1996 日中戦争の問題点を検証する(第2話) −よく「中国4千年の歴史」とか「中国5千年の歴史」とかいわれているが、この差千年は非常に大きい。どっちでもいいじゃないか、というわけにはいかない。中国では「中国5千年の歴史」といい、日本では「中国4千年の歴史」という。いったいどちらが正しいのだろう? 検証してみよう。(2004/10/29)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR1991 日中戦争の問題点を検証する(第1話) −歴史とは何か? それは人間のドラマだと私は思っている。何千年の開きがあろうとも人間として生まれた以上、共通の悩みや苦しみがあるはずで、真実の人間ドラマが描かれている史書に我々は教えを請うことができる。しかし、多くの歴史が勝者の歴史であり、本当はなぜ敗れたのか、敗者の歴史を知って同じ過ちを犯さないように自分の人生に役立てたいのに、敗者の述懐を語る史書はまことに少ない。
私が歴史書としていつも頼りにするのが司馬遷の『史記』である。(2004/10/22)
歴史研究家:岡崎溪子
- WR1464 歴史は繰り返すのか −北朝鮮の核問題で東アジアの緊張は高まる一方だ。このような緊迫した国際情勢が東アジアでは過去にもあった。第2次大戦に至る直前の昭和15年ころのわが国を取り巻く情勢がいまの北朝鮮をめぐる状況とよく似ていたことが思い出される。(2003/2/20)
エッセイスト:前田正夫
- WR1229 渡来人について −古代の倭国には多くの渡来人が来て、政治や文化の中心的地位を占め、現在に至る日本文化の礎を築いたことは周知のことであり、渡来人という場合、主として古墳時代に朝鮮半島から、または同半島を経由して渡来した人たちを指す場合が多いようだ。以下、W杯サッカーが日韓共同で開催される日の感想である。(2002/6/30)
エッセイスト:前田正夫
- WR0592 ベルギーの言語境界線確定の歴史 −ベルギーの言語境界線を初めて地図に描いたのは、フランス人の外交官であり、数学者でもあるコクベール・ド・モンブレである。1846年にはベルギーで初の一般国勢調査が実施され、その際、日常のコミュニケーション言語についてもデータが収集された。これ以後ほぼ10年毎に国勢調査に付随した言語調査が行われるようになった(2000/9/29)
立命館大学国際関係学部助手:上西秀明
- WR0561 歴史の現場;ポツダムから考える地球人間社会の未来 − ポツダムがベルリン郊外の保養地であると知ったのは元東ドイツ在住だったウクライナ出身の同僚の一言からだった。旅行ガイドでは夏の避暑地、また美しい宮殿の残る地としてポツダム市は紹介される。しかし私にとっては、これがポツダム宣言の受諾=太平洋戦争の終焉として頭に残っている合意の成った地であったのかという発見であった(2000/8/29)
在英国・オックスフォード:岡田吉央
- WR0535 バイキングのアメリカ探検 −今からちょうど1000年前、北欧のバイキングの一団がアメリカ大陸の北の端に到着した。北米への入植を目指した彼らは、インディアンとの戦闘などにより10年ほどで撤退したが、これはコロンブスより500年早く、ヨーロッパ人による初めてのアメリカ上陸であった(2000/8/3)
ジャーナリスト:田中 宇
- WR0477 スイスから「神の国」発言と歴史的背景のおさらい −これは体育会ラグビー部創部30周年コンパの乗りで、OBの長老が祝辞を述べた程度のタワイのないことである。と、御本人は思っていたのかも知れない。このタワイのない発言で神国思想の復活をすぐ心配するほどの危機感は持たないが、森さんが個人的に鎮守の杜に情緒的な懐旧を覚えるのはいいとしても、総理としては、少なくとも現代に連なる歴史はきちんと勉強して、選挙を前にした自分の立場を認識して欲しい(2000/6/7)
スイス・インターラーケン在住:長谷見敏
- WR0450 歴史の現場;脱自己満足列島:現代日本の文化土壌に欠けているものに関する3題 −世界有数の経済大国日本に住む人々の人生は豊かであるか? 相対的な経済的豊かさと生活の効率化に従って人間らしき活動、即ち知的生産がより重きを成して良いはずである。ところが経済的には、はるかに貧しいはずのヨーロッパの国に住む人々と比して、日本ではそれに見合わぬ貧しさが時に見受けられる。その貧しき一面が何故生まれてくるのか、何を変えれば良いのか、それを考えたい(2000/5/11)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
- WR0351 歴史の現場;現代人間社会の現場に見るルールと自由と責任の差違、於日本、フランス、英国(その2) −交通及びスポーツの現場を例に、さらに各国スポーツ文化比較まで(2000/2/3)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
- WR0350 歴史の現場;現代人間社会の現場に見るルールと自由と責任の差違、於日本、フランス、英国(その1) −交通及びスポーツの現場を例に、さらに各国スポーツ文化比較まで(2000/2/2)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
- WR0327 パナマ運河:興亡の物語 −この世紀末、香港やマカオが中国に返還される半面、パナマ運河はアメリカの手を離れ、代わりに中国や台湾がパナマに影響力を広げようとしている。アヘン戦争やペリーの浦賀来航から150年経って、ようやくアジアが太平洋で欧米勢と並ぶ存在になったと読み解ける。それとも、アメリカが不要になった航路の「お下がり」をアジア勢がもらい受ける、ということなのだろうか (2000/1/10)
ジャーナリスト:田中 宇
- WR0302 インドネシアの移住華人(2) (12/18)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0301 インドネシアの移住華人(1) −華人は貨幣経済が主流になると僅かな間に途上国の経済を牛耳り、世界に散った血族はまさに国境を意識しない恐るべき力を貯えて、現代人が望むグローバルかつ強力な情報網を駆使して一躍経済世界に躍り出た。移住華人の最も多いのがインドネシアである(1999/12/17)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0244 スパイス小史 −栄光と挫折のスパイスアイランド:かってスパイスは金と同価だった(1999/10/21)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0239 ノルマンディーの戦いの跡地に立って思うこと −約50年前にここでどんなことがあったのかを、タイムスリップしたかのように感じることができるのは何故? 歴史を目で見ることの大事さ(1999/10/16)
スイス国境に近いフランスに在住:MIMI
- WR0228 苛酷な植民島チモール:「靴のなかの小石」 −現代史での紛争はすべて列強国覇権争いの結果である。インドネシアはオランダの苛酷な植民地収奪から東西大国に干渉されず独立し、独歩している唯一と申してもいい国家であるのは知られていない(1999/10/5)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0212 中国古典シリーズ:『王維』−先人たちの自然詩の伝統を受け継ぎ、田園の美を詠った自然詩の世界を完成させたのが王維(1999/9/15)
脱藩道場主:亀山信夫
- WR0209 香料諸島のサムライ達とこれからの日本(3) −日本がどうしても資源と市場を必要とするなら経済援助だけでなく、国費で「帰らない日本人」を養成すべきだろう。香料諸島のサムライ達を偲びながら、今後の日本について考えてみよう(1999/9/12)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0208 香料諸島のサムライ達とこれからの日本(2) −日本がどうしても資源と市場を必要とするなら経済援助だけでなく、国費で「帰らない日本人」を養成すべきだろう。香料諸島のサムライ達を偲びながら、今後の日本について考えてみよう(1999/9/11)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0207 香料諸島のサムライ達とこれからの日本(1) −日本がどうしても資源と市場を必要とするなら経済援助だけでなく、国費で「帰らない日本人」を養成すべきだろう。香料諸島のサムライ達を偲びながら、今後の日本について考えてみよう(1999/9/10)
元インドネシア在住:庵 浪人
- WR0172 ハプスブルグの起こりとスイス −ハプスブルグ家の起こりが実は今日のスイスにあるというのは意外に知られていない(1999/8/5)
スイス在住:野嶋 篤
- WR0168歴史の現場;パリ・シャンゼリゼ大通りAvenue des Champs Elysees −馬鹿に広い石畳のこの大通りは何かにつけて歴史の舞台となってきた。今に至るまでのそんな歴史に思いを馳せてみたい(1999/8/2)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
- WR0126「中国古典シリーズ:『三国志』」 −『三国志』は、単なる小説の域を越え、戦術・戦略、史眼、人間の心理といったものを教えてくれる (1999/6/15)
脱藩道場主:亀山信夫
- WR0086「中国古典シリーズ:『史記』 −『史記』のおもしろさは人間性があらわに出ているところ(1999/5/20)
脱藩道場主:亀山信夫
- WR0078「歴史の現場:人間複製技術の臓器移植への応用を考察する」 ―科学に於ける知的好奇心は99パーセントの善意から暴走し得る(1999/5/14)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
- WR0035 日本は伝統的政治システムを捨てられるか −日本人は、来るべき21世紀に向けて、自分自身をどの様に自己変革していくべきか(1999/4/12)
MSNニュース&ジャーナル:田中宇
- WR0023 歴史の現場:コソボ、セルビア、ヨーロッパ、日本−戦争を回避できなかったコソボの問題をパリから考える(1999/4/1)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
- WR0007 歴史の現場;ベルサイユ宮の歴史を歩く −ベルサイユ宮を観光で訪れる場合、ここで丸一日を費やすつもりで是非とも城館の彼方に広がる庭園の森を散策することから始めて欲しい(1999/3/16)
在フランス・パリ・ベルサイユ:岡田吉央
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